苦しい思い出
チームは1日間のオフを挟んで、今日から練習を再開。長岡花火とオフが重なったということもあり、長岡の方まで花火を見に行った選手もいたようです。長谷川元希選手はJupiterを口ずさみながら広報部屋に入ってきては、みんなから「お前、それずっと口ずさんでんな!」と総ツッコミを喰らっていました。
昨日のオフで心も体もリフレッシュした選手たちは、水曜日に開催される磐田戦に向けてトレーニングを積み重ねて行きます。そして、今日は橋本健人選手のお話です。チームに合流してからまだ2日しか経っていませんが、松橋力蔵監督も「お客様感はまったくない」と、今日の練習後の報道対応でも言っていたようにすっかりプレー面でもチームに溶けこんでいます。
そんな健人さんのサッカー人生を少し深掘りしていきましょう。
「プロになるまで苦しい思い出しかない」と、自身で振り返るサッカー人生の始まりは幼稚園。親の影響で始めたサッカーにハマっていき、小学1年生からは「家から近かった」という理由で近所のサッカークラブに入団。小学生時代のポジションは左のウイング。主戦場は今と同じ左サイドで、1つ前のポジションを任されていました。
小学4年生からは近所のサッカークラブに加えて、横浜FCのサッカースクールにも通い始めます。そこでサッカースキルが評価され、強化カテゴリーのクラスにも参加し、中学生になるタイミングで、横浜FCのJrユース昇格の枠を勝ち取ります。
Jrユースに進んでからは、ウイングから1つポジションを下げ、現在のサイドバックに。横浜FCのアカデミーは今の新潟と同じように、ボールを大切にするスタイルだったそうです。後方からゲームを組み立てることに面白さを感じ、健人さん自身の良さをピッチの上で存分に発揮していきます。このときにサイドバックとしての橋本健人の礎が出来上がっていきました。
しかし、「俺らの代はめっちゃ弱かった」と振り返ってくれたのですが、「技術レベルの高い選手が集まっていた」という横浜FC Jrユースは、フィジカルをストロングポイントにしているチームからはなかなか勝利を掴むことができず、サッカーという競技の難しさを痛感します。ボールを保持するサッカーを楽しみ、試合には出続けていたものの、チームとしての成功体験はなかなか得られなかった。そんなサイドバックでの3年間を過ごしましたが、自称「ギリギリのところ」でユース昇格を果たします。
ユースに上がってからというもの、健人さんは大きな壁にぶち当たります。「技術的にはやれていたと思うが、体の大きさが明らかに高校レベルに達していなかった」と、振り返るほど体の線が細かったそうで、「Aチームなんか論外だったし、Bチームの公式戦のベンチ入りも逃すことすらあった」ほど、悩み苦しむ時期を過ごすこととなります。
しかし、その時期を無駄にしてはならないと考えた健人さんは、ウィークポイントであったフィジカルの部分を克服するために鍛錬を積みます。走り込みや筋トレにも時間を割くなど、全体練習以外でも自身を追い込み、「実際に体力がめっちゃついた」と自信をつかんだ頃、高校3年生の先輩方が引退し、新チームになったタイミングでポジションを掴みます。そして、そのシーズンは関東大会、そして全国大会で結果を残し、「個人的にはすごく充実のしていた1年だった」と、苦しみ抜いた1年目をステップとして、2年目は大きな羽ばたきをみせました。
高校最後の年。キャプテンとしてチームを引っ張る立場となった健人さん。この年も苦しい時間を過ごします。「Jrユースに続いて俺らの代は弱かった」と、うつむき気味に語ります。参戦していたプリンスリーグ関東で6勝1分11敗という戦績で神奈川県リーグ1部への降格を経験します。「やれることはやったとは思うけど、後悔が無いわけではない」と、当時の悔しさを思い浮かべながら振り返ってくれました。
しかし、苦しいことばかりではなく、当時の横浜FCユースを率いていた小野信義さん(現 横浜FCトップチームコーチ)との出会いが健人さんのサッカーの幅を広げました。「左利きなのに、右サイドバックでプレーして。でも、やってたことは偽サイドバックのようなことで、立ち位置で相手を混乱させたり、自分の左足を活かすためのポジショニングを取ったりと、このときに初めて戦術というものを学んだと思う」と、話している顔からは笑顔が溢れ出していて、苦しい時間の中でも本当にサッカーを楽しんでいたことが、手に取るように伝わってきました。本人の努力あってこそなのですが、人との出会いも大切な世界なのだと感じることができました。
ユースのときに大きな成長や手応えを得た健人さんでしたが、ケガの影響もあって高校卒業時点でのトップチーム昇格は叶いませんでした。それでもプロの夢を叶えるために、健人さんがとった次の行動は、慶應義塾大学への進学に挑戦すること。慶應進学の理由や大学での生活など、本当に聞いていて面白い話がたくさんありましたが、今日のダイアリーはここまで。次回のダイアリーで大学時代、そしてプロになってからの話を綴っていきたいと思います。
最後は駆け足になってしまいましたが、以上、平澤でした。